「お金はあんまり回ってないけど、みんなの楽しい気持ちが回っている」 六日町ナマケモノ書店 千田昭子さん

書店員になるきっかけは人それぞれ。書店で働くことで、読書の楽しさを共有できることや、その地域の人たちに触れることができるなど、醍醐味がたくさんあります。このインタビューでは、そんな書店員の魅力に迫ります。(これまでのインタビューはこちら

聞き手:BSJ代表理事 安藤哲也(2023年5月末取材)

栗駒六日町通り商店街にある六日町ナマケモノ書店

東日本大震災をきっかけに町の暮らしや人の気持ちを立て直す仕事がしたいと思った

―プロフィールを教えてもらえますか?

親は山形県出身で、私は神奈川県で育ちました。住んだのは仙台が一番長いです。
岩手大学に通い、盛岡で4年過ごし、その後仙台へ。就職して2年目で結婚、出産。子ども2人を育てながら、5年間専業主婦として過ごしました。
その後は主に宮城、山形、岩手をフィールドに小売業界で仕事をしました。

―そもそも専業主婦になったこと、また仕事復帰したのはなぜですか?

子どもが小さいうちは一緒にいたかったというのが一番です。それと、新卒で入った会社だけでなくいろいろな世界を知りたいという思いもあり…下の子が幼稚園に入ったタイミングでスーパーの品出しから仕事復帰しました。

―転機のようなものはありましたか?

2011年の東日本大震災ですね。当日は電気も使えなくなり、テレビを見られなかったので、カーラジオで荒浜に遺体が何十体も流れ着いたという報道を聞き、大変なことが起きたと思いました。
その後、まちづくりや人の気持ちを立て直す仕事がしたいと思い、職業訓練校で学びました。

―そのような仕事をしていく経緯は?

仙台の会社で、震災後新しく事業を立ち上げようとする人の支援に携わりました。
その会社では南三陸町へ東京や大阪出身の復興応援隊の若者を派遣していて、任期後に現地でどうやって食べていくのかという課題があり、現地で事業立ち上げのノウハウを伝えたり起業勉強会を行ったりしました。

―パートナーはどんな反応でしたか?

夫は私が最初の仕事を辞めたときショックだったみたいです。
上の子は、母にみてもらっていたんですよ。でも下の子が生まれるときに、もっと子どもと一緒に過ごしたいという想いが強くなり、専業主婦になりました。

―お子さんの手が離れてきたタイミングで仕事復帰したんですね

下の子が幼稚園に入園するタイミングで働き始めました。新しいショッピングモールができるということで募集があり、みんな新しく集まった仲間だったので学校みたいで楽しかったです。久しぶりに「○○ちゃんのお母さん」ではなく、自分の名前で呼ばれて嬉しかったのを覚えています。
その後、化粧品会社で週3回くらい、得意先を回る営業の仕事をして、家庭用品の販社に転職、この時は県外への出張もありました。

―いろいろな仕事をされてきたんですね

震災後は、次にどこかで災害が起こったらそこへ助けに行けるようになりたいと思っていて、2016年に熊本地震が起きたときに業務で現地に支援に行くことができました。そこで、震災後の何かしなければという焦燥感に区切りがつきました。

六日町通り商店街で、ビール飲みながら会話したい!

―でも、その会社は退職したんですね

はい。でもその後、宮城県栗原市栗駒の六日町通り商店街へ。カフェで好きなアーティストが歌うということで、チケットを買いに行ったんですが、クラシックな八百屋とか和菓子屋とかあって、なんとも居心地がいい商店街だったんです。そのときに、「ここで働きたい。ここに住めたらいいなー」と思いました。
ライブ当日も、結構有名なアーティストなのに、知らずに来ている人も多かった(笑)。でもみんな楽しそうだし、気軽に話しかけてくるんです。
こんな町でビール飲みながら暮らしたら、とても楽しいだろうなと思いました。

―それで働くことにしたんですか?

ライブの翌週に、地域おこし協力隊の募集を知ったんです。
着任後、カフェのマスターが作った合同会社を一緒にやろうということになり、協力隊の活動と並行してまちづくりの仕事を始めました。
協力隊のミッションは2つでした。空き店舗に入ってくれる人を探して、マッチングすること。あとは任期終了後に自分の店を開業することでした。

―それでナマケモノ書店がスタートしたんですね

私が店をやるんだったら本屋かなと思って、本屋をスタートしました。

―でもそれまで本屋で働いたことはなかったんですよね?

はい。でもサラリーマンやっているときも、本屋にいることが好きだったんです。
あと思い起こしてみると、小さいときにも毎週本屋に走って買いに行っていましたね。ゼイゼイしながら(笑)。本屋が好きだったんだと思います。

―ナマケモノ書店にも子どもは来ますか?

はい、親と一緒に。「子どもがまた来たいって言ったから」という方もいて、うれしいですね。

―書店をスタートしたのはいつからですか?

2021年4月からです。2年経ちました。

―棚貸しをしているけど、そのような方法は知っていたんですか?

SNSを見たり、東京や神奈川の本屋さんの話も聞きました。でもここは田舎の商店街なので、ここでできることをやっていく、という感じです。棚貸しを始めたのも、たまたま知り合いに声をかけたところから始まって、いつのまにか出店者が増えてきたんです。本好きが集う場になってきました。

自分をボスにしたいから、ナマケモノ書店

―なぜ「ナマケモノ書店」という名称にしたんですか?

サラリーマンのときにハタラキモノだったので、働き過ぎ、頑張りすぎで行き詰ったんです。そろそろ他人じゃなく自分をボスにしたいと思って、滅私奉公はやめようと「ナマケモノ」とつけました。近所のおばあちゃんたちに「あんだ、ナマケモノなんていう名前、やめさい」って言われましたが(苦笑)、今では「ナマケモノさ行っでくるねー」という感じで、親しまれています。
無理をしないことにしているので、うちの場合は、基本的に金土日祝しかお店を開けないんです。棚代ももらってなくて、出店者には売れた分から手数料をいただいています。

―本屋の経営は成り立っているんですか?

そもそも本屋で食べていこうと思っていないんです。開業当時は協力隊の報酬があったし、合同会社の自社事業の方で、経営に関わっている2人分食べられるようにしていきたいと思って始めました。
開業支援の方は、県の委託事業として続けてきています。

―そもそもはBSJの人材バンクに千田さんが応募してくれたのが、知り合ったきっかけですね

はい。書店を実際やっていくと、地元に家や稼業があるわけでもなく、外から来て家賃を払って暮らしていくのはなかなか簡単ではないと感じています。この商店街は評判になり新しい若い人がどんどん関わってきていて、この場(ナマケモノ書店)を使って、定住していける人がいるかもしれないし、次の人に場を譲るのもいいのではないかと考えています。

―自分の書店を守りたいと考える人も多いですが

あまりそのような考えはなく…。山形のNPOで仕事をしていたときも最初は仙台の家から山形に通って仕事をしていましたが、通うのも大変なので50代になって山形に移住。そして今、と言う感じです。

―今は宮城県栗原市に移住したんですね

子どもも成長して結婚して、今は家族それぞれの場所で暮らしている感じです。

―自分で個性派書店をやりたいという若者もいますが

銀行員でも本屋でも、どんな仕事にもやり方次第で面白さがありますよね。昔とは職業観が変わってきている気がします。学校を卒業してすぐに協力隊になる人もいますが、勤めたことがない人の良さがあると思います。
就労に躓いたり、社会にうまく関われない子もいますね。奥のシェアショップで手伝ってくれている子の中にも、そのような子もいます。

奥のシェアショップ

―どんな風に見てますか?

休みたいなら休んでいいと思います。親が食べさせられるなら、食べさせてあげればいいし。
何かを頑張りたい人なら、ちょっと背中を押してみたり…。

―だからナマケモノ書店は居心地がいいのかもしれませんね

みんないいところを持っています。すごく気が利く子がいたり。ごみを拾ってくれたりね。

―本屋のおばちゃんの感覚ですね

みんな素敵です。私の方がパワーをもらっています。

―今後やりたいことは?

開業支援もそうなんですが、人がその人らしく生きていく手伝いがちょっとできたらいいなあと思っています。無理したい人は無理したらいいし、つらい人は休めばいいし。自分はもうあまり頑張らず自分のいいところを使って生きていたいです。お金が回るのはもちろん大事なんですが、いろんな人の楽しい気持ちが集まって回っていく場所は大事にしたいです。

(筆:FJ理事 高祖常子)

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